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ウマタック

Umatac 

カトリック教会:聖ディオニシオ教会

フィエスタの時期:10月

地区の概要

グアム南部のウマタック湾に面する小さな地区ウマタックは比較的人口が少なく、住民の多くは親族関係にあります。

海岸の古い家並みにまざって、スペイン植民地時代のなごりを強く感じさせる廃墟が点在。観光客はあちこちに掲げられたプレートを頼りに、スペイン時代の雰囲気をつかむことができるでしょう。スペイン時代の歴史的建造物には旧聖ディオニシオス教会跡地、砦や砲台などがあります。

中心部には二車線のでこぼこ道が走っています。傾斜のきつい北の高台から入ってきてまず目に飛びこんでくるのは、丘の斜面に石でグアム島をかたどった巨大なウェルカムサイン。同じ通りには数軒の小さな店舗、そして1939年に現在の場所に建てられた聖ディオニシオス教会があります。

20世紀前半に建てられた家並みをすぎてそのまま進むと、見事な湾景がひらけ、続いて1990年代にIT&Eが建設した子供用遊具を併設した小さな公園があります。公園のとなりにある地区長のオフィスはビーチの正面。これほど眺めのいい地区長の執務室はグアムでもほかにありません。

湾の中央には、1521年のフェルディナンド・マゼランの上陸を記念したオベリスクが建ち、「マゼラン上陸の地」と刻まれています。

歴史

ウマタックはグアムの村々のなかでも、スペイン統治時代を筆頭に、最も豊かな歴史を持っていると言えるでしょう。なかでも注目したいのはファウハ湾にある「ファウハ・ロック」。古代チャモロ族は、グアムの創造神、フウナ(女神)とプンタン(フウナの兄弟、男神)のうち、女神フウナがここで休息をとっていたと信じていました。この岩は「クリエイション・ポイント(創造の地点)」とも呼ばれています。

西欧文明と接する前のチャモロ族はフウナに敬意を表して毎年この岩に巡礼し、主食の米をここで清め、清めた米を病人に食べさせていた、とスペイン人は記録しています。ウマタックはチャモロ族の伝承にあるように、マゼランによるグアム上陸の地として有名です。正確な上陸地点については異論もありますが、住民は今でも誇りをもって、毎年3月21日の「ディスカバリー・デー(グアム発見記念日)」を祝い、1521年の上陸時を再現したセレモニーを行っています。

44年後の1565年、マゼランに続いてグアム上陸をはたしたヨーロッパ人探検家ミゲル・ロペス・デ・レガスピは、確実にウマタックに上陸しています。レガスピはウマタック湾に13日間錨をおろし、スペインによるグアム支配を正式に宣言。レガスピの滞在中、入り江にある十字型の大きなカヌーハウスではミサが行われました。

レガスピが来島した頃のウマタックは、すでにチャモロ人の海岸集落でした。ラッテストーンに支えられた高床式の共同家屋は200人を収容。大型カヌーも数艘あったとヨーロッパ人は記録しています。また調理場や焼き場に使う小屋もありました。

ガリオン船時代初期のウマタックはスペインの主要港で、毎年5月か6月にアカプルコからガリオン船が到着しました。1680年代後半にはスペイン人居留地が初めて創設され、ガリオン船に加えて、毎年8月か9月にフィリピン諸島カヴィテから寄港する補給船の支援にあたりました。補給船は石けんや小麦粉、工具、金属、動物、そして植物の種などの必需品、ガリオン船は主に兵士や宣教師へ支払うためのメキシコ産の銀でできたスペイン硬貨を積んでいました。

こうした船舶の寄港を重視し、スペイン総督は入港予定時期に邸宅をハガニアからウマタックへ移しました。ダミアン・デ・エスプラナ総督は1690年、総督のパラシオ(宮殿)を要塞の内側に建設。当時はウマタックと首都ハガニアをつなぐ陸路がなく、荷下ろしされた物資はオロテ岬を経由してハガニアまでボートで運搬されました。

 

ウマタック湾   ラムラム山

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