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タムニング/タモン/ハーモン
Tamuning/Tumon/Harmon
カトリック教会:聖アントニオ教会(タムニング)
ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレス教会(タモン)
フィエスタの時期:6月(タムニング)
1月(タモン)
地区の概要
タムニング・タモン・ハーモン地区の地理的特徴は、タモンとハガニア湾をへだてるオカ(サウポン)岬の低い台地、そして絶壁にかこまれ、比較的なだらかなアッパータモン・ハーモンへ連なるタモン湾エリアでしょう。
白砂の美しいビーチと静かな海のあるタモンは過去40年の開発でグアム観光の拠点に、タムニングは主要な商業地区と住宅地に、そして第二次大戦後に飛行場だったハーモンは現在、工業団地になっています。
歴史
タムニングを中心とするエリアには豊かな歴史があります。タモン湾周辺には、ラッテストーンをはじめとする考古学的な史跡があり、わき水と素晴らしい近海漁場に恵まれたタモン湾に昔から人口が集中していた事を証明しています。17世紀後半のスペイン統治時代にタモン(トゥムフン)とイパオ、アポトガンはすべて大きな村落として記録されていました。
ところがスペイン・チャモロ戦争中に行われたチャモロ人の再定住政策で、この地域からは人影が消えることに。その後200年は、主に牧畜や狩猟、そして漁業の場になりました。タムニングは、1848年の台風で壊滅的な打撃を受けたカロリン諸島の人びとの避難場所として翌1849年、パブロ・ペレス総督によって設立されました。
米海軍時代にも変化が訪れました。カロリン諸島出身の住民たちの風習・文化をこころよく思わなかったシートン・シュローダー総督が1901年、グアムの北に位置する(ドイツの管轄下にあった)隣島サイパンへ住民を移送したのです。シュローダー総督は続いて1902年、イパオにハンセン病患者の隔離施設を建設。施設が存続したのは1912年までで、この時点で収容者はフィリピン諸島へ追放されましたが、大多数は消息不明に。米海軍時代には定住する人たちがあらわれ、デデド地区が設立されました。当時のデデドの中心は現在サンミゲルブルワリー社屋がある場所ですが、現在のタムニングやタモンにあたる土地も含まれていました。この頃のタモンは人気の釣りスポットで、塩づくりもさかんに行われていました。
第二次大戦は、タモン・タムニング地区に多くの変化をもたらしました。戦時中、わが家を離れなかったデデドの住民は普通の暮らしを続けましたが、タモン湾が日本軍の拠点になり、牧場の経営者や労働者は立ち入りを禁じられたのです。
1944年にグアムが占領軍から解放されるまで、住民の大半は日本の強制収容所に入れられました。戦後、住民が戻りはじめると、かつての住宅地や牧場用地はハーモン米空軍基地の建設予定地になっていました。同空軍基地の敷地は、恋人岬とウクドゥから現在のエアポート・ロードとマリン・コア・ドライブの交差点まで。タモン湾の大部分も陸軍航空隊のレクリエーションエリアに指定されていたため、一般人は入れなくなりました。