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モンモン/トト/マイテ

Mongmong/Toto/Maite

カトリック教会:海の聖母教会 (モンモン)

聖母の清純な御心教会 (トト)

フィエスタの時期:1月(モンモン)

6月(トト)

 

地区の概要

モンモン・トト・マイテ地区が位置するのはグアムの中央、首都ハガニアのすぐ北。飛行機が真上を通って隣接するティザンに着陸することをのぞけば、とても静かで、落ち着いた生活の場です。美しい夕陽に映えるマイテの崖上に居を構えるのはグアム屈指の名士たち。東ハガニアの断崖の一角には、カルボ家の美しい邸宅が建ち並びます。

モンモンと、トトは大部分がのどかな住宅地。緑豊かなモンモンはマイテと平行して3地区の中央に位置し、3地区最大の人口を擁します。トトはモンモン・マイテの北部にあるバリガダと接し、曲がりくねった道路と沼地で知られています。

モンモン・トト・マイテはとても産業が盛んですが、なかでも第1の産業地帯はティザンと首都ハガニアにはさまれたトト・マイテの8号線周辺。倉庫やハードウェア・家具店、家族経営のマーケット、そして人気ディスカウントショップがひしめきます。

モンモンのカトリック教会、海の聖母教会では毎年1月の最終日、またトトの聖母の清純な御心教会では毎年6月の第2、第3土曜日に守護聖人を称えてフィエスタが催されます。

マイテにはカトリック教会がなく、フィエスタも行われませんが、バプテスト派のベイビュー教会とサン・オブ・ゴッド教会があります。

 

歴史

60年前のモンモン・トト・マイテは生活する場ではなく、働く場所。そして当時の「仕事」はオフィスで1日8時間勤務することではなく、グアムの大半がそうだったように、牧場まで数キロの道のりを歩き、食料を得るために農作業をすることを意味しました。

1941年の日本占領までは、小規模農業や家禽類などの家畜の飼育が中心。戦前にこの土地を利用していた人はほとんどがハガニアの住民で、ジャングルを抜けて朝やってきて農作業を行い、夕方には帰っていきました。

モンモンがひときわ賑わったのは1年の始まりの数ヶ月間。村の守護聖人「海の聖母」を称えるために、島全土から人が集まりました。乾期には雨乞いの祈りを捧げることも。ジェームズ・ヤングという男性は1881年、オーストラリアの姉(妹)に宛てた手紙で敬虔な守護聖人信仰について記しています。猛烈な台風に襲われた1850年、聖母マリアが姿をあらわすと嵐はぴたりとおさまり、農場は破壊を免れたと住民たちは信じていると。

1898年にこの地域に暮らしていたのはわずか7世帯。あとは牧場の所有者でした。ところが第二次大戦中に状況は一変。大日本帝国軍のハガニア駐留中、数世帯がモンモン・トトに移り住み、米軍の集中爆撃と上陸に続いて日本占領が終了するにつれ、さらに多くの家族が流入しました。

ハガニアの商業化にともなって、モンモン・トト・マイテはかつて首都で暮らしていた世帯の移転先の1つになりました。しかしモンモン・トトに米海兵隊補給部門、第5後方支援基地があったことから、一般住民は傾斜と起伏の激しい、水はけの悪い土地へ追いやられることに。終戦直後は海兵隊部隊のすぐそばという安心感から人気居住エリアになり、多くの住民が基地で仕事を見つけました。モンモンにはプレハブの建物が数戸建てられ、創設当初のジョージ・ワシントン高校をはじめ、校舎として使われました。