太平洋戦争の真っ只中でもグアムの空や海は青く美しい輝きに満ち、緑豊かなジャングルの木々が風になびいていたことでしょう。
ただひとつ違うのは、この島に居るすべての人が生死の境をさまよう日々が続いていたことだけです。

この美しいグアムで、日本人やアメリカ人、そしてグアムの人々が悲惨な戦争により眠りについてから67年の時が流れました。このつらく悲しい戦争の記憶を風化させることなく後世へと語り伝えていくため、そして無念の死を遂げた22,120人の御霊を供養するため、今年も多くの人々がジーゴ村にあるグアム平和慰霊公苑に集いました。

川崎大師平間寺の藤田隆乗住職による法要の模様。

1944年7月21日、アメリカ軍グアム上陸から日本守備軍「小畑中将軍司令官」が自決した3週間で約10,000人の日本軍兵士が命を散らし、最終的に日本軍兵士の戦死者数は19,135人に上りました。
この戦いでアメリカ軍戦死者1,862人、グアム島民戦死者1,123人、計22,120人の命が失われました。

日本国総領事やグアム準州副知事などが参列しました。

国境、人種、宗教を超えて営まれた心温まる慰霊祭は、
仏教とキリスト教の両方で祈りが捧げられます。

サンティアゴ神父は日本語で、お話されました。
敵を許し、思いやる気持ちが平和な世界を築くことを教えて下さいました。

アメリカ領土で唯一、日本軍による占領を体験したグアムは今、
チャモロ人とアメリカ人、そして日本人やアジア各国の人々が暮らす
人種を超えた友好的なコミュニティーが築かれています。
このようなグアムのあり方が少なからず世界へ発信されることを願います。

17.5mの高さがある白亜の塔。
合掌をモチーフにしたモニュメントは、
日本守備軍「小畑中将軍司令官」玉砕の地に平和を祈念してそびえています。

日系人の奥様とご結婚されているグアム準州副知事レイモンド・テノリオ氏。
先人から引き継いだ若いリーダーが語る平和への誓い。
これからもさらに友好関係が進展していくことでしょう。

全国グアム島戦友会の生還者は涙ながらに今は無き戦友へ語りかけます。
あの丘、あの崖を眺め、かけがえのない命を捧げた人々を
供養する祈りはこれからも続く事でしょう。

式典の最後に参列者全員が白い菊の花を献花しました。
グアム平和慰霊公苑は毎日8:00AMから6:00PMまで自由に参拝できます。

年間90万人近くの日本人旅行者がグアムに訪れる目的は様々です。
遊びやショッピングを楽しむ人だけでなく、グアムの歴史や文化に触れ、日本では知り得ない体験をする人も多くいます。その多くが太平洋の別の島々とは一線を画するものばかりで、日本との結びつきにおいてはアメリカのどの地域よりも強いものがあります。

多くの日本人が知らない日本とのつながりを紐解いていくのもグアム旅行の意味を深めてくれる事でしょう。

グアム平和慰霊公苑(南太平洋戦没者慰霊協会)について詳しくはこちらから。
http://www.spmaguam.org/