日系移民と聞くとブラジル、ペルーを思い浮かべる方が多いと思います。その歴史は約100年、実はグアムへの日本人の移民はブラジルなどよりさらに50年ほど遡る明治維新とともに始まりました。二度の世界大戦を経て、移民の歴史は現在まで続いています。第二次世界大戦後の移民は戦後日本の発展にともなう海外戦略を担うビジネスマンとしての移住がほとんどですが、明治元年(1868年)から第二次世界大戦勃発までの移民は貧しい日本からの出稼ぎ労働者でした。その時代の移民一世として現在把握できているのは53名、大志を抱いて海を渡った彼らの名前を記した記念碑が完成しました。



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一世の記念碑を竣工したのはグアム日系人会。
グアム日系人会の発足はわずか2年前の2013年、
記念碑は日系移民の子孫の願いでもありました。



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記念碑の除幕式でスピーチする
グアム日系人会の会長のフランク清水氏。



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式典にはグアム日系人会の発足に尽力した
在ハガッニャ日本国総領事やグアム日本人会会長など
日本人コミュニティの代表者の姿もありました。



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移民一世のほとんどは、日本への帰国を望まず、
グアムのチャモロ人女性を妻とし
グアムの社会に溶け込み家庭を築きました。
除幕式ではチャモロダンサーによる歌も披露され、
日本とチャモロ人の絆に育まれた子孫の境遇を伺い知ることができました。



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記念碑に刻まれた日系移民53名の子孫は
現在約5,000人にのぼると推測されています。
日本人コミュニティの代表に続いて
日系人会のメンバーが記念碑に手を合わせました。



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グアム日系人会のメンバーのほとんどが
一世の兄弟家族の子孫とのつながりは途絶えている一方で
タジマファミリーは今も交流を続けています。
記念碑の除幕式に合わせて日本から3人の親族が
グアムを訪れ、式典に参加しました。



日本人の海外への移民の歴史は16世紀にさかのぼります。幕府の使節団に始まり、のちに海外との貿易拠点に日本人村が形成されたようです。しかし江戸幕府の鎖国政策により往来が途絶え、明治になり移民が再開されたものの、その大半は出稼ぎ目的の移住でした。明治元年(1868年)にグアムに渡った「元年者」と呼ばれる約40人は、近代日本最初の移民としてグアムの土を踏んだのです。



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グアム日系人会の一世記念碑は、
グアム北部ジーゴ村にあるグアム平和慰霊公苑内に建立されました。



グアムでは第二次世界大戦中の1944年に悲惨な戦闘が繰り広げられ、日本軍の約18,700名、米軍は約7,000人、そして平和に暮らしていた多くの島民が血を流し、尊い命を失いました。平和慰霊公苑は1970年に日本軍の司令部壕のあった地域に日米両国の親善と友好のために設立されました。合掌をモチーフにしたモニュメントが公苑の中心に整備され、苑内の我無山平和寺には周囲で見つかった遺品などが集められています。グアム日系人会の一世記念碑はモニュメントの横に完成しました。移民一世にとって第二次世界大戦は苦難の連続であり、この戦争で命を落とした人も多くいます。2つの国の狭間で翻弄された人々でもあるのです。日米両国の親善と友好を祈願したこの地は、一世にとってのかけがえのない願いが込められた場所です。