日本では毎年夏が近づくと戦争や平和について語られる機会が増えてきます。グアムでもそれは同じ。グアムが戦争を終えたのも夏でした。1944年7月21日に旧日本軍はグアムから撤退、グアムは再びアメリカの統治に入ることにより戦争の終結を迎えました。今年はその日からちょうど75年の節目の年。6月からグアム各所で旧日本軍からの解放、平和の訪れを祝うさまざまなイベントが開催されてきました。そしてそのメインイベントとなったのが、毎年7月21日に行われている『リベレーション・パレード(Liberation Day Parade)』。グアムらしい青空が広がる中、第75回目となるパレードが開催されました。



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グアムの紋章が飾られたメインステージ。
グアム準州知事をはじめとする政府関係者、
そしてアメリカ軍関係者などが席に着きました。



『第75回リベレーション・パレード(75th Liberation Day Parade)』はグアム政府観光局オフィスのあるアデラップからハガニア地区のチャモロビレッジまでのマリン・コア・ドライブで行われました。



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パレードはアデラップを午前10時にスタート。
まず初めにメインステージに登場したのは
グアム準州知事などを乗せたフロート。



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そして恒例のアメリカ空軍による飛行、
アメリカ国旗のパラシュート落下、



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アメリカ海軍によるグアム島歌、アメリカ国歌の演奏など
パレード開催の式典が行われました。



前半はアメリカ空軍、海軍、海兵隊、コーストガードと呼ばれるアメリカ沿岸警備隊、ナショナルガードと呼ばれる州兵、公立高校の「JROTC」と呼ばれる予備役将校訓練課程の生徒達など軍関係のパレードが続きます。



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その軍関係の先頭を切るのは
現在のこの平和な世の中へと尽力した退役軍人たち。
「ベテラン」と呼ばれる彼らたちへの敬意を表し、
メインステージでパレードを鑑賞する政府関係者、
軍関係者も起立して彼らを迎えます。



その後、パレードの沿道がにわかに騒がしくなったと思ったら、グアム出身のビッグアーティスト、ピアミア(Pia Mia)の登場です!



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「プリンセス ピア・ミア(Princess Pia Mia)」と書かれた
グリーンとホワイトのフロートに乗って登場したピア・ミア。
前日にはコンサートが開催され、
その余韻も冷めやらぬ内に再び現れた彼女に
周囲は皆、大興奮!



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フロートから解放75年を祝う言葉があり、その後ステージへ。
気さくにカメラに応じる姿はまさに大物の証。
グアムが生んだ歌姫に大きな拍手と歓声があがりました。



パレードはどんどん続きます。



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恒例の各村のフロート。
こちらはバリガダ村から。



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グアムにあるパラオコミュニティから。
パラオはグアムと同じミクロネシアエリアの島で
現在は親日国として知られていますが、
戦時中は日本の統治下にあった島です。
彼らもグアムの人同様、解放を祝います。



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パレードでの子供たちのお楽しみは
各企業や団体から無料で配布されるお菓子やジュース。
チャモロ人、アメリカ人、フィリピン人、韓国人、そして日本人など
グアムで暮らすさまざまな国の子供たちが
お菓子を譲り合い、分け合う姿がありました。



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グアムの人たちは沿道に椅子を広げ、
フードやドリンクを用意してパレードを鑑賞。
中には上の写真のように、海岸近くを陣取り、
パーティーさながらで参加する人も。
「PANGELINAN Family」と看板があり、
パンゲリナン一族の集まりのようです。



パレードは午前10時に始まり、昼を過ぎてもまだまだ続きました。


グアムが終戦を迎えて75年。現在、多くのツーリストの方々を迎えている日本からの解放が、グアムにとっての終戦でした。当然、苦悩の日々はあったと思いますが、「こんにちは」と片言の日本語で話しかけてくれるグアムの年配者の方々には頭が下がる思いです。それと同時に、この穏やかで静かな平和な日々を再び失うことがないよう、考えさせられる1日でした。